ご縁あって,2019年より名古屋大学法科大学院で憲法の非常勤講師をさせていただいているのですが,コロナ禍により,昨年以降「Zoom」というアプリを使用したリモート講義の形態をとらざるを得なくなっています。
参加者各々が移動することなく講義や会議に参加することができるのは非常に便利ですが,同じ空間を共有して直接対面して話をしないと伝わらないこともあるような気がして,一長一短であると感じます。
ともあれ,当たり前のように「リモート」という言葉が使用されている現在の状況を冷静に考えてみると,凄い時代になったものです。
このブログは,今タブレットを使用して書いているのですが,私が司法修習生(実務法曹になるための公的な研修期間のようなものです。)であった10年前は,タブレットを持っておりませんでした。
それどころか,当時はスマートフォンも持っておらず,いわゆる「ガラケー」を使用していた記憶があります。
さらに遡ると,携帯電話自体,私が高校2~3年生くらいの頃に初めて手にした記憶で,それまでは携帯電話で「メール」をするという発想自体がなく,何か用件がある時は固定電話に電話をすることが当たり前でした。
パソコンにまともに触るようになったのは大学に入学してからで,確か大学1年次の前期の講義に,パソコンの使い方を学ぶ講義がありました。
そう考えてみると,何か映画や漫画等の作品のなかで描かれていた未来世界にいるというか,つい20年くらい前には想像もしなかった文明の利器を,当たり前のように使用している状況に今更ながら驚きます。
他方で,携帯電話が普及する以前は,メールの返信で悩んだり,LINEの「既読スルー」が問題になるようなことはなく,パソコンやインターネットが普及する以前は,インターネット上での誹謗中傷や,SNSにおけるいじめ等が問題になるようなことはありませんでした(それら以外の形をとって,同種の問題は存在していたとは思いますが。)。
情報収集やコミュニケーションの手段が極めて効率化した反面,そのことにともなう問題や悩みも生じているようで,結局は一長一短,うまく使いこなせるようになる必要があると感じる今日この頃です。
弁護士 伊藤朋紀